【暗殺教室】殺せんせーから学ぶ、生徒に寄り添う教育論が最高すぎる

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学校の先生、塾の先生、習い事の先生……世の中には、様々な先生がいますよね。

あなたもいろんな「先生」に出会ってきたと思います。

 

でも、そもそも「良い先生」「良い教育」って何でしょう?

考えたことありますか?

 

もちろん「良い」の基準は一人ひとり違いますから 一概に「こうだ!」とは言えないのですが、結論から申し上げます。

私は「いかに生徒に寄り添うことができるか?」が良い先生たりうる条件だと思っています。

 

これが今まで様々な先生に出会い、一人の「生徒」としていろんな教育を受けてきた私なりの答えです。

 

でも「生徒に寄り添う」って、具体的にはどういうこと?

 

実は、この「生徒に寄り添う」という理想の教育を見事にやってのけた人物がいるんです。

まぁ、勘のいいあなたならもうお分かりでしょう…

 

そう!

それが、漫画「暗殺教室」に登場する「殺せんせー」というキャラクターです。

ブログタイトルからして、モロばれですね(笑)

 

私

「たかが漫画のキャラクターでしょ?」と思ったあなた!

フフフ…
殺せんせーの教育は、そんじょそこらの教師とは全然違うんですよ。

 

完全に2次元世界の人物(?)ですが、私は彼こそがこの世で最高の教育者だと確信しています。

…まぁ ものすごくハードル上げちゃいましたが、大丈夫です。

 

そんなわけで今回は、「殺せんせー流、生徒に寄り添う教育論」について解説させていただきます。

読み終わる頃には、あなたも殺せんせーの虜になっているかもしれませんね…(笑)

 

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そもそも、「暗殺教室」って?

あらすじ

ある日突然、月が爆発して七割方蒸発した。

その犯人として名乗り出たのは、触手を持つ謎の超生物。

来年三月には地球も爆破する」と宣言したこの危険な生物は、何故かとある中学校の教師を務めることを希望する

軍隊をもってしても殺せないその生物に頭をかかえた各国首脳は、やむをえずその中学校、椚ヶ丘中学校3年E組の生徒たちにこの超生物の暗殺を依頼する。

 

しかし、この3年E組という教室は、成績優秀者が集う椚ヶ丘中学校の中でも”落ちこぼれ”扱いをされた生徒たちのクラスだった。

始めは”成功報酬100億円”を獲得するために暗殺を試みていた生徒たちだったが、謎の超生物との奇妙な学校生活…この”暗殺教室”を通じて、次第に失いかけていた自信を取り戻し、それぞれが大きく成長していく

 

果たして、来年の三月までに、この超生物”殺せんせー”を暗殺することは出来るのか…?

松井優征による、サスペンスあり、笑いあり、涙ありの学園コメディ漫画。

 

 


 

この漫画を読む前は、「なんだか物騒な漫画が始まったなぁ」というのが正直な第一印象でした。

まさかこの後、自分がこの漫画で「勉強することの意味」「人生において大切な考え方」「本当に優れた教育とは何か?」なんてことを考えさせられるとは 思いもしませんでした(笑)

 

それほどまでにストーリーが深く、面白かった…

道徳の時間とか、もうこの漫画読めばいいと思う。

この本で読書感想文とか書かせたら、恐らくみんな原稿用紙5枚は楽勝で書いてくると思います。

 

子供だけでなく、何かと教育をする立場にある大人の方にも読んでもらいたい漫画です。

 

 

殺せんせー流!生徒に寄り添う教育

 

では次に、殺せんせーが行っていた”生徒に寄り添う教育”とはどういうものなのか、詳しく見ていきましょう!

 

私

ここから先は、少~しだけネタバレを含んでいます。

物語の結末まで語るような野暮な真似はしませんが、「まだ本編を最後まで見てない!」「少しでもネタバレしたくない!」という方は注意してください。

 

 

生徒一人ひとりを、とにかく「見る」

 

ここでいう「見る」には、ただ単に生徒たちの「能力や性格を知る」という意味だけではなく、生徒たちを「見守る」という意味合いも含まれています。

この「生徒を”見る”」というのが、殺せんせーの教育で一番の主軸になっているように思います。

 

 

まぁ、漫画やアニメを一度でも見たことのある方なら、共感してもらえるのではないでしょうか。

 

私

…そう。

殺せんせーの教育は、とにかく手厚い!

 

生徒一人ひとりの理解度に合わせた個別授業や、それぞれの得意不得意に合わせた問題集まで作っちゃいます。

 

せんせーが過保護なのは、勉強だけじゃありません。

運動や芸術、カリスマ性など、生徒一人ひとりが持つありとあらゆる能力や才能をも見極め、伸ばしていきます

 

 

「先生なら、生徒の良いところをのばすのは当たり前だ」と思われているかもしれませんが、
実際は何十人といる生徒の能力や特性を把握するだけでもかなり難しい事なんですよ。

ここだけでも十分、殺せんせーの超生物具合が分かると思いますが…

 

そういった生徒が持つ”能力や特性”だけでなく、一人ひとりが抱える悩みや問題なんかも ちゃんと”見て”いるというのが、これまた憎い!(笑)

 

さらにこのせんせー、生徒のこととなると妥協は一切しません。

とことん生徒と向き合います。

 

私

でも実は、私が一番殺せんせーに感心したのは、下手に生徒に手を貸さないところなんです。

 

過保護すぎるくらい生徒に至れり尽くせりだから、生徒にも甘々な教育をすると思うでしょ?

それが、違うんですよ…!

 

意外なことにせんせーは、生徒が何か問題に直面しても最初から手助けはしません。

まずは自力で何とかさせます

 

自分の頭で考えて、行動して、時には失敗して…

そういったプロセスも、教育には大切なんですよね。

私もこの歳になってようやく分かってきました(笑)

 

だからこそ、殺せんせーは常に生徒から目を離しません

生徒がいつどこでつまずいたとしても、いざというときに立ち直る手助けができるように。

 

 

…とまぁ、こう言ってしまえば聞こえはいいですが、さすがにこのせんせーはやっぱり異常です。

生徒への愛が強すぎる(笑)

危うく「これは新手のストーカーかな…?」と錯覚してしまいそうになりました。

 

 

ネタバレエピソード:殺せんせーが生徒を異常なほど大切にするわけ

 

そもそもなんだけどさ…

何で殺せんせーは、これほどまでに生徒に執着してるの?

 

私

その答えは、殺せんせーの過去にあるんだ

 

細かいことを話すとネタバレになってしまうので、ここでは省略しますが…

昔の殺せんせーは、「他人に興味を示さない」「自分が生き延びるためならどんなことでもする」、そんな人間でした。

 

 

そんなせんせーは、ある一人の女性教師と出会って変わります。

名前は「雪村あぐり」。

 

彼女はいつも、殺せんせーをそばで見守っていました

最初は彼女を利用することしか考えていなかったせんせーですが、どんなときも真っ直ぐに自分を”見て”くれる彼女に、次第に惹かれていきました。

 

ですが、とあるきっかけで彼女は、せんせーの目の前で命を落とすことになります。

彼女が最期の力を振り絞ってせんせーに託したのは、当時自分が担任をしていた3-Eの生徒たちのことでした。

「自分の代わりにE組の生徒たちを導いてほしい」と。

 

こうして、せんせーは”殺せんせー”になったというわけです。

 

 

なるほど、そんな過去があったのか…
…ん?
じゃあ結局、殺せんせーは好きな女のためにここまで教師を頑張ってたってこと?

 

私

ぶふぉっww

違ーーーう!!!笑

 

確かに「彼女の願いだから」というのも一つありますが、
それ以上に殺せんせーは彼女から人から”見られる”ことの嬉しさを学び、自分の力は自分だけじゃなく、誰かのためにも使うことができると気づいたからです。

 

そして、それと同時にこれまでの自分の生き方を後悔したんですね。

大切なものから目を離さず、自分の力を人の命を救うために使う訓練をしていれば、彼女も救うことができたかもしれない…と。

 

 

だから、殺せんせーは亡き恋人のためだけに先生をやっているわけではありません。

生徒たちに、自分のような生き方をしてほしくないという強い想いがあるんだと思います。

だからあんなに必死に教師をやってたのかな、と。

 

「先生の教師としての師は誰であろう雪村先生です

目の前の人をちゃんと見て 対等な人間として尊敬し 一部分の弱さだけで人を判断しない

彼女から…そういう教師の基礎を学びました」

殺せんせー 「暗殺教室」16巻より

 

生徒に対する異常なまでの愛情は、せんせーの苦すぎる過去と、そこから得たせんせー自身の学びからきているのではないかと思っています。

 

 

ちなみに、殺せんせーの過去が読めるのは この巻↓

 

 

生徒の意見を全否定しない

 

殺せんせーは、生徒一人ひとりの意見や考え方を常に尊重しています

生徒の意見を理由も聞かず否定することはありません。

これって、結構すごいことだと思うんですよね。

 

 

例えば、せんせーが生徒の進路面談を行うというエピソード。

生徒がそれぞれ思い思いのやりたいことを打ち明けていく中、ある生徒(潮田渚)はこうは切り出します。

「多分僕には…人を殺す才能があります」

「僕の…進む路を教えて下さい」と。

 

…いや、こんな相談されたら 問答無用で「やめとけ!」って言いたくなりますよね(笑)

「生徒が暗殺者として生きていくかもしれない」ってなったら、全力で止めに行きますよね。

 

でも、殺せんせーは頭ごなしに「やめとけ!」なんて言いませんでした。

生徒の意見を否定するのではなく、もう一度考える時間を与えたんです。

 

 

これは別に先生と生徒との関係だけじゃなく、普段の私たちの人間関係においても言えることですが、頭ごなしに他人の意見を否定するのは、ある意味簡単です。

 

でも、それじゃ何も解決したことにはならないんですよね。

一方がただ自分の意見を押しつけただけで、相手の意見は置いてきぼりです。

 

たとえその人の意見が間違っていることだとしても、それを否定するのではなく「どうしてダメなのか?」を本人に理解させる必要があるんです。

 

 

よくいますよね。

「あれはダメ」「これもダメ」って、とにかく否定しまくる人。

 

でも、教育はそれじゃダメなんです。

否定するだけじゃ、きっとその人は同じようなことを繰り返すでしょう。

 

「相手の意見になぜ賛成できないのか?」を伝えたり、相手に考える時間を与えたり…

本当に相手の成長を願うなら、教育ではそういうことがめちゃめちゃ大切なんです。

それに、ひょっとしたらこちら側の意見が間違っている…なんて可能性もありますからね(笑)

 

 

叱るときは叱る

 

あ、別に「ガミガミ怒鳴れば良い」ってわけじゃないですよ。勘違いしないでくださいね?

 

さっきのお話しと少し似ていますが、「どうして叱っているのか?」「どこが間違っていたのか?」を相手に伝えることが”叱る”一番の目的です。

これを理解せずに 自分の感情に任せて怒鳴り散らすのは、教育でも何でもありません。

 

 

「暗殺教室」でも、生徒が自分の命の危険を顧みず殺せんせーを暗殺しようとするエピソードがありました。

ちょうどこのシーン↓

 

殺せんせーが最初に怒ったエピソードです。

そりゃあもう、顔が真っ黒に変色するくらいの大目玉をくらったわけですが…(笑)

 

せんせーは、「作戦のアイディア自体は良かった」「でも、自分を大切にしなかった」と、良かった点と悪かった点を的確に述べています

 

でも、実際に叱ると 相手に嫌われて逆効果なんじゃない?

 

私

いや、そんなことないよ

 

適切に叱れば、相手はきっと理解してくれます

そりゃあ私も 叱られた瞬間は少しムッとすることもありますが、頭を冷やして振り返ってみれば「あ、さっきのは自分が悪かったな…」ってちゃんと反省できます。

別に叱った相手のことを嫌いになったりしません。

そんなもんですよ(笑)

 

 

あくまで「先生」として接する

 

こんな先生に出会ったことはありませんか?

親のような感覚で接してくる先生や、生徒と友達のような関係を築いている先生。

 

親しみがあって良いとは思うんですが、
私は別に先生に親や友達的な要素を求めてはいないので、「先生は先生らしく振舞えば良いんじゃない?」と思うのです。

だって、どう頑張っても「先生」が ”親” や ”友達”になることはできないわけですから。

 

…とは言っても、別に「先生ならもっと先生らしくカチッとして!」ということを言いたいわけじゃないですよ。

親しみやすい性格の先生が無理してそんなことする必要はないです。

 

 

でも逆に、生徒に親しみをもってもらおうとして無理に距離を縮めようとしている先生も少なからずいるんじゃないかと思うんです。

 

私

そんな先生たちに言いたい!

無理するな、と。

 

意外かもしれませんが、殺せんせーは一貫して先生として生徒に接しています。

そりゃあ あんなユーモラスなキャラですから、生徒との距離はかなり近めなのですが…

 

不思議なことに、それは「親子の絆」でもなく「友情」でもない。

あくまでも「先生と教え子の絆」なんですよね。

 

個人的な意見ですが、恐らくこれは殺せんせーが教師と生徒の境界をしっかり線引きしていたからこそ築けた関係ではないかと思うんです。

 

え、でも 何で「先生」として振る舞わなきゃいけないの?

 

私

先生には、”先生”としての役割があるからだよ

 

あなたも、これまで悩みの一つや二つ経験してきたのではないかと思います。

中には、親にも友達にも相談できない悩みってありますよね。

そういう時に、先生の存在って大きいと思うんですよ。

 

 

例えば、進路相談。

「え、そんなの親とか友達にも相談できるじゃん」と思った方もいるかと思いますが、
実際にはそんな簡単に相談できない場合もあるんですよ。

 

仮に、あなたに進みたい進路があったとします。

でも、親からは別の進路に進むよう促される。

 

そんな時、大半の人は親に自分の気持ちを伝えることに躊躇してしまうのではないでしょうか?

「自分の進みたい進路があるんだけどな…」

「でも、親が言うならこっちの進路に進んだ方が正解なのかも…」

私だったら、かなり躊躇します(笑)

 

もし、友達にそのことを相談するとしても、果たして友達にこの悩みを解決できるほどの経験や知識がありますか?

自分の気持ちに共感してくれるかもしれませんが、的確なアドバイスは期待できませんよね。

 

 

そういうときに、先生の存在が必要なんです。

友達よりも知識や経験が豊富で、親とはまた違う存在

人が成長していく中で、この先生の存在は必要不可欠です。

 

だから、私は「先生が無理して親や友達みたいに振る舞う必要はない」と思うわけです。

 

 

生徒の未来を見据えた指導

 

将来どんな人になって、どんな風に人生を歩んでいってほしいか

今振り返ってみると、殺せんせーは常にそのことを念頭に置きながら生徒に接していたように思います。

 

「自分で物事を考えられる人に」

「他人の痛みがわかる人に」

「楽しんで理不尽と戦える人に」

「胸を張って生きていける人に」

 

せんせーの教育には、こういった信念のようなものが散りばめられていました。

 

 

「今この子が抱えている問題を解決する」だけが教育者の役目じゃないですよ。

生徒にはそれぞれに未来があるんです。

その未来までしっかり見据えることも、教育者にとって大切なことなのです。

 

 

元気が出る!殺せんせーの名言

 

「学校や肩書など関係ない

清流に棲もうがドブ川に棲もうが 前に泳げば魚は美しく育つのです」

「暗殺教室」3巻より

こちらは、修学旅行エピソードの回で登場した名言です。

修学旅行中にこともあろうか他校の不良生徒に女性生徒数名がさらわれるというトラブルに巻き込まれます。

 

せんせーは、生徒を救出するために不良生徒と対峙するわけですが…

そこで一人の不良生徒が言うわけです。

てめーも肩書きで見下してんだろ。バカ高校と思って舐めやがって」と。

 

その言葉に対してせんせーは、

E組の生徒も校内で差別されていること

だが、それでも様々な物事に対して前向きに取り組んでいること

他人の足を引っ張るようなことはしないこと

を話します。

 

この後に続けて言ったセリフが、この今回の名言です。

 

 

いやぁ、これ個人的にはかなり好きな言葉なんですよ。

 

私たち人間は、何かしらの色眼鏡で人や物事を見ています

「大切なのは中身だ!」みたいなセリフをよく聞きますが、
そうは言いつつやはり外見やステータスで人を判断してしまうことって結構ありますよね?

 

そんな社会で生きていれば、勝手に不本意なレッテルを貼られて傷つく人もいるでしょう。

私も、”出身校”という肩書きで自分を評価されたことが何度もあるので、
肩書きで自分を判断されることに傷つき、自暴自棄になってしまったこの不良生徒の気持ちが痛いほどわかります。

 

 

でも、本当にその生き方でいいんでしょうか?

 

周りからレッテルを貼られているから、もう自分は何をやってもダメなのか?

思い通りの環境や時代に生まれてこなかったら、人生を諦めるのか?

それを理由に自暴自棄になって、他人を傷つけてもいいのか?

本当は、なりたい自分、叶えたい未来があるんじゃないのか?

 

…とまぁ、私はそう思ったわけです。

 

 

だって、誰のためでもない、自分の人生ですよ?

周りにどう思われたって、自分のやりたいように生きていったらいいじゃないですか!

悪い道に進むのもあなたの人生だから、全然それはそれでいいんですけど…(笑)

 

少なくとも、肩書きやレッテルで自分の人生を窮屈に感じている方は、もう一度考えてみてください。

前に進むのか、そのままの自分でいるか

決めるのは誰でもない、あなたなんですよ。

 

 

「テストは良い

一夜漬けで得た知識など大人になったらほとんど忘れてしまうだろう

それでいい

 

同じルールの中で力を磨き 脳みそを広げ 結果を競い合う

その結果から得る経験こそ宝物だ」

「暗殺教室」7巻より

これは1学期の期末テストで殺せんせーがつぶやいた言葉です。

 

「勉強は、将来の自分のためにするものだ」みたいな話はよく聞きますが、「こういう考え方もあるのか!」とハッとさせられた一言です。

 

 

正直、テストって ”点数”や”順位”といった数字だけで自分の存在価値まで決められているような気がして、全く好きになれませんでした。

しかも、「そんなの覚えなくてもいいじゃん!」ってことまで勉強しなくちゃならないし…

サイン・コサイン・タンジェントなんて、もう存在意味そのものが理解できませんでした\(^o^)/

 

でも、殺せんせーの言葉を聞いて「確かにそうだよね」と妙に納得してしまいました。

テストの数字が大切なんじゃなくて、結果を得るまでの過程そのものが大切なのだと気づかされました。

 

結果が出るまで頑張り続けられるか?

自己反省ができるか?

失敗を次に活かせるか?

 

こういった経験をすること自体に意味があるんだと。

 

 

もちろん、今でもテストは大嫌いです。

でも、テストを受けることで得られるものがあることに気づけただけでも、「もうちょっと頑張るか…」って思えるようになりました(笑)

 

 

「彼は多くの才能に恵まれている

だが力ある者はえてして未熟者です

本気でなくても勝ち続けてしまうために 本当の勝負を知らずに育つ危険がある

大きな才能は…負ける悔しさを早めに知れば大きく伸びます」

「暗殺教室」7巻より

こちらも1学期の期末テストでのお話。

テスト勉強をサボった結果テストで実力を発揮できなかった生徒(赤羽業)を見て言った殺せんせーの一言。

 

 

テキトーにやっててもそれなりに上手くこなせる人って、本気で何かをしようとか思わないんですよね。

でも、それって本当にもったいないことなんですよ。

それ以上の結果が出せる才能があるのに、自分でわざわざその力を抑え込んでるわけですから。

 

そう考えると、一度挫折を経験するというのも 時には必要なのかもしれません。

 

 

「髪型も高校も大学も 親が決めるものじゃない

渚君本人が決めるものです

渚君の人生は渚君のものだ

貴女のコンプレックスを隠すための道具じゃない」

「暗殺教室」13巻より

こちらは、ある生徒(潮田渚)とその母親、そして殺せんせーの3者面談で飛び出した名言。

 

自分が叶えられなかった夢を子供に託す親って、結構いますよね。

この生徒の母親も、息子の将来を自分の思い通りに決めてしまう、そんな親でした。

 

そんな母親に向かって、3者面談で殺せんせーが言ったのがこの言葉です。

 

 

これはぜひ、お子さんを持つ親御さんにいてもらいたい名言ですね。

 

期待をされること自体は子供からすると嬉しく感じるものですが、やはり行き過ぎは良くありません。

それがプレッシャーになったり、期待に応えられない自分が嫌になったりします。

 

ましてや、子供の将来を自分の思い通りにしようなんて、考えないでくださいね!

子供にはその子の人生を歩ませてあげてください…

 

 

…とは言ったものの、子供にいろいろな体験をさせてあげるのは良いと思います。

それがその子の好奇心や将来の夢に繋がるヒントになったりしますので。

 

 

さいごも抜かりない殺せんせー

 

実は、私も高2くらいの頃に暗殺教室ドハマりしまして…

殺せんせーが最後に残してくれた単語帳…思わず買ってしまいました(笑)

生徒が作った特集ページビッチ先生の大人な英語術なんかも掲載されており、「暗殺教室」ファンにはたまらない工夫がたくさん!

 

英語勉強のやる気が出なかった時も、この本だけは読んでましたね。

「暗殺教室」は、人をやる気にさせるのが本当に上手な作品だ…(笑)

 

今では単語帳だけでなく、大学受験に向けた英語問題集まで発売されてるんですよ。

 

もし私が学生時代に発売されてたら、迷わず買っていたでしょう(笑)

 

 

さて、ここまでさんざん殺せんせーの教育者ぶりをかなり熱弁してきたわけですが、そうは言っても こんな完璧超生物、現実ではまずありえないですよね(笑)

 

ですが、総じて私が伝えたかったのは「”生徒に寄り添う”という軸だけはぶれないでほしい」

もう、この一言です。

これだけは 全世界の教育者に声を大にして伝えたい…!

 

 

私もいつかは「教育者」になる日が来るかもしれません。

それは、「親」という形かもしれませんし、「会社の先輩」という形で実現するかもしれません。

 

教育には ぶっちゃけ正解がないですから、迷ったり悩んだりすることもあるでしょう。

殺せんせーみたいに完璧超人にはなれませんが、それでも彼を見習って、教えらえる側の気持ちを理解しようと努力し続けられる、そんな教育者でいたいですね。

 

 

あ、ちなみに「暗殺教室」をまだ読んだことない方には、一気読みがおすすめです。

一巻ずつ買ってると、すぐ次の巻が読みたくなってヤキモキしてしまいます(笑)

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