日本人特有の社会性!日本人は本当にコミュ障なのか?

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突然ですが、私はコミュ障の中のコミュ障です。

親しくなった人とは楽しく話せるのですが、知らない人と話すのは大の苦手ですし、まともに目を見るのもツラいです。

 

しかし、そんな私は「日本人=コミュ障」ということを よく耳にします。

 

 

おい、ちょっと待て。

コミュ障ってのは私のような人とまともに交流できない人のことを言うのであって、日本人の個性がバカにされるのは許せん…(; ・`д・´)!

 

そもそも、日本人はコミュ障じゃねーし…!!

 

 

…ということで、今回は日本人には日本人のコミュニケーションがあって、それは守られるべきという私の意見についてお話ししたいと思います。

 

 

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日本人がコミュ障だと思われてしまいがちな理由

もともと島国だったから

 

そうです、日本は本来閉ざされた国でした。

 

大陸にある諸外国の多くは、お隣の国と否応なく交流してきたのです。

それに比べて日本は、鎖国なんかをやっていた時期もあります。

それくらい外部との接触が少なかったのです。

 

また、諸外国と交流すると言っても、せいぜい貿易程度。

移住してくる外国人はそうそういませんでしたし、日本人が海外に移住することも少なかったのではないでしょうか。

 

 

つまり、私たちはほぼ日本人のことしか知りません。

グローバル化が謳われる近年では、海外からの行き来が簡単になり、諸外国の言語や文化を学ぶ機会も増えたわけですが、それでもまだ多くの日本人が 海外にある国や人々を遠くに感じているのも事実なのです。

 

 

集団行動を好んできたから

 

島国だった日本は、もともと他国と交流することこそ少なかったですが、日本人同士では集団文化を発展させてきました。

 

そして集団行動をするうちに、独自のコミュニケーション方法を確立していきます。

それが、「察し」の文化です。

 

よくネットでも「あっ…(察し)」なんて言葉を耳にしますが、要は相手の気持ちをこちらで推し量るということですね。

 

 

相手の気持ちを察するというのは 日本人特有のコミュニケーション方法ですが、「相手を思いやる」という気持ちが その根底にはあると思います。

だから、日本では相手が要求せずとも礼儀や作法を重んじる、そんな文化が生まれたのでしょう。

 

 

奥ゆかしさを美徳としてきたから

 

さて、先ほど日本独自のコミュニケーション「察する」ということについて言及しましたが、その「察する」文化がここまで発展した要因は、日本人の考える美徳にあります。

 

私たちは直接的に物事を言うことを避ける傾向にありますよね。

なぜなら、その方が集団生活が上手くいくからです。

 

集団生活には規律もありますし、大勢の人が集まっているわけですから、そんな状況で自分の主張ばかりしていては やっていけるはずがありません。

そこで、日本人は自分の気持ちに蓋をして、相手に合わせるということを覚えます。

それが「奥ゆかしさ」という美徳として 位置づけられてきたのです。

 

 

ネットという匿名性の高いツールが普及したから

 

今やインターネットが世界的に普及して、ネットを使わないなんて考えられない社会になってきたわけですが、このネットというものは日本人の気質に非常に合っているように思います。

 

 

ネットは基本、相手の顔が見えません。

つまり、普段周りの顔色を窺って本音が言えない日本人にとって「相手の顔が見えない」という匿名性が とても居心地が良かったのではないでしょうか。

そして、そんな居心地の良いネット生活に慣れてしまった結果、本音が言えない現実世界が息苦しくなってきたのかもしれません。

 

近年 若者を中心としたこのネットの普及が、日本人を内向的にしている気がします。

日本人らしさが増したというべきでしょうか…

何はともあれ、欧米流のオープンなコミュニケーションをとることが苦手な人が増えてきているのは確実でしょう。

 

 

コミュ障が抱く、今の日本の風潮への不満

「コミュ力主義」という名の拷問

 

今、世間では何かある度に「コミュニケーション能力をつけろ!」と言われていますよね。

 

 

でも、考えてみてくださいよ。

そもそも私たちは どうやって育てられてきましたか?

 

「もっと周りをよく見ろ」「和を乱すな」

欅坂46の歌詞とかに出てきそうなフレーズですね。

 

自己主張をする子供は煙たがられ、聞き分けのいい子は良い子と認められる。

実際 私も「周りの和を乱さず、先生の言うことを素直に聞いていればいいんだ」と、幼いながらに感じていました。

だから、先生の言うことは素直に受け入れ、周囲の同級生とも極力もめないようにしていました。

 

そうやって私たちは、日本流のコミュニケーションの取り方を身につけてきたんです。

その中で、良い子になろうと みんな必死に自分を抑えるようになったわけです。

 

 

それが、大人になってみるとどうでしょう。

「自分の意見はしっかり主張しろ」「これからはグローバルの時代だ」

 

…え。んなこと急に言われても(;゚Д゚)

 

戸惑って当たり前じゃないですか。

だって、今まで日本流のコミュニケーションの取り方しか教わってこなかったんですもん。

いきなり欧米流のコミュニケーションの取り方をしろと言われても、無理ですよ。

 

海外流のコミュニケーションを、難なくこなせる方もいます。それは素晴らしい能力です。

しかし、その一方で 日本流のコミュニケーションしか取れない人もいることを忘れないでいただきたい…。

 

 

日本はコミュ障の国でいいじゃない

 

正直、海外ウケはあまり良くないかもしれません。

「何考えてるのか 分からない」なんて思われてしまうかもしれません。

 

 

でも、いいじゃないですか!

そんな国が一つくらいあったって、いいでしょう!!

 

海外にも「日本流のコミュニケーションの方が自分にしっくりくるわー」、「自分の国じゃ生きづらいわー」と思っている方がいるかもしれません。

そういう方たちを受け入れていける国にしてはどうでしょう。

 

これも一つのグローバル化になりませんかね?え、ダメですか…?

 

 

日本独自のコミュニケーション文化は、日本の個性

 

「コミュ力、コミュ力」って呪文のように言われていますが、実際に欧米流のコミュ力が必要なのはそういった海外の方と交流する方だけですよね。

日本で暮らす分には、そんなコミュ力は要らないと思うのです。

むしろ、日本流のコミュ力の方がよっぽど大切です。なにせ、日本は集団行動の国ですから。

 

 

それにもかかわらず 今、受験や就職でやたらと欧米流のコミュ力を求められます。

そりゃ、世界規模で活躍する人材を育成するのはいいことだと思いますが、だからって日本独自のコミュニケーション文化を蔑ろにしてもいいのでしょうか。

 

日本流のコミュニケーションは、海外では通用しないかもしれません。

ですが、それは日本が今まで培ってきた 誇るべき文化であり、個性だと思うのです。

 

他諸国に追いつこうとするあまり 個性を失った日本に、いったい何が残るんでしょうか。

 

 

日本流コミュニケーション派としての提案

海外流と日本流、どちらのコミュ力の持ち主も共存できる社会へ

 

グローバル化を目指すようになってから、日本流のコミュ力の持ち主は一方的に虐げられてきました。

 

「こんなんじゃダメだ!」「もっとオープンなコミュ力を持て!」「海外を見習わなければ!」

そんな風潮が高まっていくにつれて、日本は日本人にとってどんどん生きづらい国になっていきました。

 

ここは誰の国ですか?

私たち日本人の国ですよ。

 

グローバル化は結構ですが、国民性をガン無視した国なんていかがなものでしょうか。

 

 

海外流のコミュニケーションだけを良いものと思わないでください。

日本流のコミュニケーションも大切にしましょう。

 

そして、どんな人も住みやすい国にしましょう。

 

 

海外流コミュ力を上げたい人を国が援助する

 

海外流のコミュニケーションを自力で学ぶのは大変です。

かといって今行われている教育では限界があります。

 

そこで、留学費なり、教育費なり、やる気がある人にだけ国が援助すればいいのではないでしょうか。

現在も様々な支援が行われていますが、どんどん増やしていくのがベストだと思います。

 

 

…とは言ったものの、現実問題として財政赤字がありますので、そう簡単にはいかないんですけどね。

 

 

海外流と日本流のコミュ力を混同しないで

 

さんざん海外流のコミュニケーション形態について言ってきましたが、そうは言ってもやはり今の日本にグローバル化が必要なのも事実です。

ですが、日本独自のコミュニケーション形態も衰退してほしくありません。

 

 

そこで、これからは 欧米流と日本流、どちらも必要に応じて使い分けできるように教育していくべきだと思うのです。

 

正直、今の教育は 日本流と海外流のコミュニケーション形態を混同しているように見えます。

「コミュニケーション能力が高いとはどういうことなのか」

グローバル化によって コミュ力の定義が揺らいでいるからではないでしょうか。

 

しかし、どちらか一つを選ぶ必要なんてないと思います。

日本では日本流の、海外では海外流のコミュニケーションが必要になるのですから、シンプルに両方できるよう教育すればいいことです。

 

 

最後に

 

いろいろ語っててきましたが、やはり日本独自のコミュニケーション文化って、海外ではなかなか評価されないことが多いです。

 

でも それは仕方のないことなんですよ。

歩んできた歴史も文化も違うんですから。

 

 

それでも、我々日本人の「思いやり」から生まれたこのコミュ力は、きっとどこかの場面で役に立つはずです。

「思いやり」は、万国共通ですから。

 

――守りたい、この独自性。

 

 

 

では、また別の記事で会いましょう!

アッシュ(@assyu_blogger)

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